山田先生を偲んで(田坂夫妻から見た思い出)(最終更新日2014/12/12)
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(モツレクプログラムより)
以下は生前最後のステージとなったオペラ「フィデリオ」でのご挨拶です。
終演後頂いたサインが入っています。
・山田先生よりの投稿(生前、直近) 2014/02/11 (火) 14:03
現代のベートーヴェン??は嘘だった、、、
余り興味はありませんでしたが、地道に音楽と向き合う私としては、この大野さんの言葉はとても励みになりす。
皆さんは、この事件どのように捕らえたのでしょうか?日本はCDが売れたらえらい人、テレビに出たらえらい人、やはりブランド社会??
定期演奏会を沢山やったら上手い合唱団? 人数が沢山居れば良い合唱団? コンクールに出ればレベルが高い合唱団?
趣味であるはずのアマチュアコーラスも、ブランド化?? 物事の本質ってどの程度の人が自分自身の目で耳でふれて判っているのでしょうか?合唱活動30年を越える合唱団、、、僕の音楽への考え方と共に活動してきた合唱団の瀬戸市民合唱団・・・色々と考える事、、、大切に捕らえていきたい社会現象ですね、、、皆さんも考えましょう。
大野先生の意見はhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140209-00032494/による。
「クラシックの死」を招かないために~指揮者・大野和士氏の警告〈情報を、まことしやかなものにするために、お墨つきを与えた、音楽関係者の罪は、重いと思います。・・・・・・・〉
・それと別件ですが、先生と田坂(雄)との最後のメールで、指揮者大野和士が田坂の後輩だとの連絡に対する返事です。
2014/02/12
(水) 8:57 田坂さん
そうなんですか、凄い人が後輩ですね。。。うれしいですね、、、彼は、素晴らしいので、、、ピアノも凄く弾けるし、言葉も、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、、、堪能です、、かつ内戦激しかったクロアチアのザグレブのオーケストラの指揮者を長年勤めた経歴の持ち主で、その粘りは凄いですね、、、日本の教育の責任も大きいでしょうが、それを統括する政治でしょうね、、、と言うことは、そのような人を選ぶ、大人の責任が大きいですね!!安倍内閣も、教育改革をスルのだそうですが、、、政治によって振り回される教育会は、とても貧相な発想です。、、、だから、慎ましいですが、小さな立派で無い合唱団が、発信できる文化なんてしれていますが、この事こそ、とても捨てられない大切な文化、、、人と人のコミニュケーションですね。そのような人が、田坂さんの後輩だなんてとても胸を張れる事ですね。多分音楽指揮者のみならず、多くの文化、社会現象の多くを見てきて感じた人なので、広い意味の巨匠としてこれからも活躍されることでしょう。。。 yamadanobuyoshi@me.com 2014/02/12 8:29、
Y.tasaka <tasaka-u1@na.commufa.jp> のメール:
田坂です。山田先生 蛇足で全く関係は無いのですが、指揮者「大野和士」氏は小生の出身高校(神奈川県湘南高校)の後輩なのです。
勝手ながら山田先生の次に親しみのある指揮者なのです。(体調が悪くキルシェの練習を休んだ日なのに、このメールに対しては30分も経たずに返事を書いてくれました。)
山田さんへ 倉知小百合
初めてお会いしたのは、あるミュージカルに私が途中から伴奏に参加することになって、練習を見学に行ったときでしたね。
まだ弾いていない私にむかって、「明日、空いてる? 合唱の伴奏をお願いしたいんだけど。」って帰りがけに声をかけられて、
そのまま25年。あっという間でしたね。山田さんには、いつも自由にピアノを弾かせてもらっていました。
そのことはピアニストにとって、うれしいことです。とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
同世代で、同じように音楽の世界を歩んできた山田さんが、どんどん前へ進んでいることがとても誇らしく思っていました。
これからも、きっと天国でどんどん音楽の道を進んで行くんでしょうね。でも、少しはのんびりしてくださいね。
いろいろありがとうございました。ゆっくりお休みください。T 田坂 雄一
30年前瀬戸の第一回第九が終わって合唱団を作る話があり参加したのが最初で、始まった当初、先生から何をやりたいか聞かれて、
「ミサ曲」をやりたいといったのを覚えています。その時先生は聞き流されました。多分そのときの瀬戸市民合唱団ではまだ無理と考えられたのだと思います。そして10周年でミサを始めました。
その後の10年でシューベルト200合唱団を立ち上げ、シューベルトミサ全曲を歌いました。そこから始まった海外演奏、先生の全工程に参加したのは私ども夫婦以外に何人いるでしょうか。小生シューベルト200合唱団の団長として2001年のウクライナ、リビウ、ドイツバーデンバーデン、2003年のドイツ、デュルクハイム、そのときはドイツ領事館での会食まで参加させて頂きました。前年の縁で2004年にドイツトリアー第九、2007年のキルギス、2011年震災直後でしたので、献金まで募ったドイツベルリンでの教会での日本の歌、そして第九、2012年の韓国ヨス、2013年のウィーン荘厳ミサ、等々いろいろな経験をさせて頂きました。20周年演奏会は小生が団長で進めさせていただきました。その後の、最近の10年間では先生の向上志向が強くなって、本格的オペラの準備を始めた矢先の8年前交通事故。その時先生の指示で小生が立ち上げたNCOで始めたオペラ、最初のオペラ「ナクソス島のアリアドネ」には合唱は無かったですが、制作を担当させて頂き、ずいぶんと自分の経験不足を感じたものです。その後の山田先生指揮のオペラの合唱には全て参加し、最後となったのが昨年末の「フィデリオ」。シューベルト200合唱団の団長やNCOの事務局長を承った中で、ずいぶんと苦労もありましたが、全部懐かしい思い出として残っています。山田先生のオペラに出る勉強になればと思って出演した名古屋でのオペラやオペレッタも7曲(15公演)になります。地元オペラ「民吉」にも出ました。もう、そういうことが無いと思うと、寂しいですが、これも一区切りと思っています。充実した30年間、改めてありがとうございました。
―山田先生との20年は私達夫婦の人生の「華の時代」です。― A 田坂 千鶴子
今から20年前、「ハー。」と深いため息をつき、今日も先生の目指すところまで歌いきれなかった事への残念さと、一生懸命心を込めて歌った充実感、満足感、集中した後の心地よさに浸る、というのが、私が入団した瀬戸市民合唱団の定期練習が終わった後のいつもの事でした。主人はそれより10年前、最初から入っていました。山田先生は、私にとっては挨拶もまともに出来ないくらい近寄り難い存在でしたが、歌の練習が始まると、高い音楽性に思わず引き込まれました。歌詞に対する考え方、その歌い方などの指示により、その曲が生き生きと表情を持ってきました。先生は、魅力的で素晴らしく、輝いていました。それから20年、山田先生の元で歌ってきたお陰で、私達に、思いもかけない人生が開けました。オペラや海外演奏旅行、それに芸文などでの大曲の演奏会、ガラコンサート。オペラなんて高尚な物、自分には縁のない物と思っていたものを、「カバレリアルスチカーナ」「道化師」を初め、亡くなる2ヶ月前の12月28日のベートーベンの「フィデリオ」まで、私と主人は全てのオペラに出演しました。山田先生の音楽性に共感し、共にオペラをつくった岩田達宗さん演出の「魔笛」は、私達その他大勢の参加者も、登場人物になりきって、動き、歌い、出演したオペラの中でも最高に満足したものでした。私達はオペラが好きになり、形式的ですがオーディションを受けて、いくつかのオペラに出演しました。ドイツのクルトレーデル先生の指揮法を学んだ後の指揮で、ダントツ一位を何度もとった山田先生は、複数の国から指揮を依頼されました。最初の海外演奏旅行はロシアから独立後、初めてのベートーベンフェスティバルを開催したウクライナでした。国の招待で山田先生が交響曲1番から4番まで指揮、5番以降はウクライナオケの指揮者が指揮し、9番(第九)を山田先生の指導する合唱団が歌わないか、というものでした。私達は大喜びで参加しました。あの時は主人が定年退職したばかりで、瀬戸市民合唱団の団長をしていた事もあり、総勢90名の団員の旅行代金を節約(一人約10万円安く)するため、旅行業者を介さず、パスポート集めから旅行代金納入状況調べ、旅行日程や全ての書類の作成、航空チケットの発券から配布(ソリストは東京、大阪等も)までしました。ウクライナ演奏旅行中は山田先生と相談しながら、その日、その日の予定や練習場所、時刻、その他を食堂入り口などに貼り出しました。フェスティバルの後は教会でシューベルトミサ曲の5番や日本の歌を演奏しました。私も主人の作業を手伝いました。その大変だったこと・・・。でも、充実感とやり終えたときの満足感は大きいものでした。それだけに、だからこそ、強烈に思い出深い演奏旅行になったと思っています。
ウクライナの大臣まで参列した、グロ-バルビューティ玉置社長の援助によるレセプション。観光旅行では行く事もない、珍しい、素晴らしい所へも案内して頂きました。ウクライナの演奏旅行は山田先生だからできた事、又、個人的に言うと、B型の主人が団長だったから、山田先生とできた事、だと思います。A型の私には絶対できないことがいくつもありましたから。
次の、海外演奏旅行は、ドイツ、デュルクハイムでした。あの時、ドイツは百年に一度と言う暑さでした。演奏会後、6千人の観客の一員として城跡での野外オペラの「トゥーランドット」を観た事。私達とドイツの間に入ってドイツの演奏旅行を取りまとめてくれたソリスト田辺とおるさんが王様姿のまま舞台で私達と記念撮影してくれたこと。ドイツの総領事の岡田さんもドイツとの間に入ってくださり、その関係で後日、領事公邸での晩餐会に、ドイツ側6名、日本側山田先生、田辺さん、私達夫婦等6名を招いて下さった事。
その後も、玉置社長の関係の文化交流で、キルギス、ヨス万博関係の韓国での音楽祭。日独友好150周年記念のベルリンフィルのホールで、日本人50人、ドイツ人50人での第九演奏会と、その20日前の東日本大震災に対するチャリティコンサートを教会で行った事。ウィーンフィルハーモニー楽友協会黄金の間でのベートーベンの荘厳ミサの演奏。
主人と私は、山田先生の行う行事に、全て参加しました。玉置社長の叙勲のデビ夫人主催の雅叙園でのパーティーにも、キルギス大統領の日本訪問時の東京でのパーティーにも。山田先生の音楽性と音楽に向かう前向きな態度を応援したいと思ったからです。そして、参加する事によるさまざまな体験も魅力でした。
麻由さんと結婚し、麻由さんと山田先生はお互いの良さでお互いの音楽的領域を広げ、高めたと思います。麻由さんがいたからこそ山田先生ができた事、山田先生がいたからこそ麻由さんができたこと。私達もその恩恵にあずかりました。
4つの合唱団がまとまっての大曲演奏。シューベルトミサ曲全曲(1番から6番)、ブルックナーのミサ曲全曲(1番から3番)、モーツアルトのレクイエム(私達夫婦は他の合唱団の練習にも参加し、山田先生の目指すモツレクをできる限り自分のものにし、気持ちを込めて歌いました。)それにオペラの曲を入れたガラコンサート、特に瀬戸市文化センターでの瀬戸市市制80周年記念ガラコンサートは大成功で、山田先生ファンが合唱団以外にも増えました。
先生の、留まることのない音楽への気持ちは、合唱団への指導も変わってきました。歳を取っても無理なく歌える歌い方、スピーチレベルシンギング(唇ブルブル)発声法。私が以前から疑問に思っていたこともその中で解決しました。スラーの付いた音符とついていない音符の歌い方の違い、時代、作曲者にもよる歌い分け等。
ベートーベンの荘厳ミサは、もう一度歌いたくて、今、他の合唱団に入り、練習していますが、差しさわりの無い範囲で、山田先生の指導して下さったように歌っています。山田先生を感じながら、もう一度山田先生に指導して欲しい、指揮して欲しいと思いながら・・・・・。これからも先生の教えて下さった事をできるだけ生かして歌って行きたいと思っています。
あの大雪の朝、2月14日、麻由さんからの電話で山田先生の訃報に接し、私達夫婦は絶句してしまいました。その後の放心状態。あの交通事故さえなかったら・・・・。
事故直後、主人は山田先生の口のそばに耳を近づけ、弱々しい声を、聴き取りながら、先生念願の「名古屋尾張地域市民オペラ振興会」を立ち上げました。3Cmもの厚さの書類を公認会計士等の専門家抜きで作成し、付箋をいっぱい付けられ、法務局に何度訂正し、持って行ったことか。
オペラがあったから、音楽があったから山田先生はあそこまで復活できたと思います。でも、あの交通事故が無かったなら、もっともっと長生きできたはず。フォーレのレクイエムを初め、運命の歌、他、もっといろいろやりたい事が、一杯あったでしょうに。それを思うと残念で、残念で・・・・・。
一週間後の宗次ホールでの追悼演奏会で、神田先生が歌いだした時、山田先生の歌声が鮮明に聞こえてきました。どうしてこんなに鮮明に聴こえるのだろうと不思議でたまりませんでした。私はずっと麻由さんのピアノでの山田先生の歌声を聴いていました。涙が出て止まりませんでした。この20年間は、私達夫婦の人生の中で、一番の「華の時代」でした。
それを作ってくださったのは山田先生でした。
今は、涼ちゃんが夢で見たように、事故の後遺症で苦しむことなく、穏やかで、存分に音楽を楽しんでいる事と思います。
山田先生、本当にありがとうございました。感謝と共に謹んで先生のご冥福をお祈りいたします。
山田先生の音楽活動の内、合唱指導活動30年の歩み(瀬戸市民合唱団、シューベルト200合唱団、NPO
法人NCO、NCO)
(なお、瀬戸市民合唱団以外の合唱団については合同演奏会参加時のみ記載)
瀬戸市民合唱団は瀬戸第九を歌う会第1回演奏会の後、再編成して発足した合唱団で、指揮は第九の練習指揮を山田先生が振っていたこともあって、発足当初から山田信芳先生が指揮者。
当初10年は瀬戸市民合唱団のみ指導していたが、11年目より指導合唱団を増やしていった。
以下、何を歌ってきたか、何を指導して頂いたかを主体に纏めた。
特筆なき演奏、練習曲は全て山田先生の指揮。
合唱指導活動開始(当初10年間は瀬戸市民合唱団の指導が主
1984 瀬戸市民合唱団としてはこの年までは瀬戸混声合唱団として活動していた。しかし活動は停滞していた。
この年の12月8日の第一回瀬戸第九に向けて山田先生最初の合唱指導活動である、第九の練習に参加した約300人の団員の中の有 志を集めて翌年(1985)再発足したのが始まり。
12月8日(土)瀬戸第1回第九;合唱指導山田信芳
1985 主な練習曲:佐藤眞「旅」
6月16日第24回愛知県合唱祭:合唱連盟に加盟し初参加、瀬戸混声合唱団名で出演
混声合唱のための組曲「旅」より、なぎさ歩めば、行こうふたたび
第1回瀬戸合唱フェスティバル:瀬戸混声合唱団として参加、組曲「旅」より、なぎさ歩めば、行こうふたたび
12月27日(金)瀬戸第2回第九;合唱指導山田信芳
1986
特筆する出来事:瀬戸市民合唱団と名称変更、団員数103名での新出発。
9月21日(日)山田先生と瀬戸市民合唱団の有料演奏初公式ステージ、中日合唱フェスティバルに出演
夕やけこやけ、証城寺のたぬき、まっかな秋(ソロ)、秋のピエロ、秋の女よ
初代団長:柴田 正克、ステージに乗った団員数66名、うち2014年2月時点の現団員16名
ソプラノ;市野芙佐子、伊藤 節子、伊藤美和子、千葉はつ子、丹羽由美子、水谷 久江、山田 淑子
ア ル ト;飯塚 幸江、岡田 恵子、梶田多起子、加藤 葉子、鈴木 宣子
テノール;田坂 雄一
ベ
ー ス;小熊 辰雄、河村 右文、丹羽 勝久
主な練習曲:高田三郎「水のいのち」
6月15日第25回愛知県合唱祭;「水のいのち」より雨、水たまり
第2回瀬戸合唱フェスティバル;タヌキバヤシ、夕焼けこやけ、秋のピエロ、秋の女
瀬戸市文化の祭典 ;タヌキバヤシ、水の命から2曲、秋の女、旅立つ日
この年から山田先生はニュータウンエコーも振り始めた。
12月18日(木)瀬戸第3回第九;合唱指導山田信芳
1987 主な練習曲:佐藤眞「蔵王」
6月21日第26回愛知県合唱祭「千曲川の水上を恋ふる歌」より、水上、「水のいのち」より海よ
第3回瀬戸合唱フェスティバル;水のいのちより
瀬戸市文化の祭典;水のいのちより
12月26日(土)瀬戸第4回第九;合唱指導山田信芳(指導時の写真は下記)
1988 主な練習曲:佐藤眞「蔵王」
6月26日第27回愛知県合唱祭、組曲「蔵王」より苔の花、蔵王讃歌
第4回瀬戸合唱フェスティバル;蔵王より
瀬戸市文化の祭典 ;「蔵王」全曲
12月10日(土)瀬戸第5回第九;合唱指導山田信芳
1989 主な練習曲:廣瀬量平「海の詩」
6月26日第28回愛知県合唱祭、時計台の鐘、「海の詩」から「海はなかった」
第5回瀬戸合唱フェスティバル;海の詩より
瀬戸市文化の祭典;海の詩より
参考;12月8日(金);瀬戸第6回第九
1990 主な練習曲:大中恩「島よ」
6月10日第29回愛知県合唱祭;「島よ」より抜粋
第6回瀬戸合唱フェスティバ;「島よ」より
瀬戸市文化の祭典;「島よ」全曲
参考;12月27日(木);瀬戸第7回第九
1991 主な練習曲:大中恩「風のうた」
6月23日第30回愛知県合唱祭;「風の歌」より、春の風、夏の風
第7回瀬戸合唱フェスティバル;風の歌より
瀬戸市文化の祭典;風の歌より
参考;12月21日(土);瀬戸第8回第九
1992 主な練習曲:高田三郎「内なる遠さ」
6月21日第31回愛知県合唱祭;「内なる遠さ」より飛翔-白鷺、崖の上-かもしか
第8回瀬戸合唱フェスティバル;内なる遠さより
瀬戸市文化の祭典;内なる遠さより
参考;12月26日(水);瀬戸第9回第九
1993 主な練習曲:林光編曲、日本の抒情歌集
6月20日第32回愛知県合唱祭;かやの木山、待ちぼうけ
9月5日第9回瀬戸合唱フェスティバル;指揮;林秀幸、荒城の月、浜辺のうた、鉾を収めて
10月31日瀬戸市文化の祭典:日本抒情歌集より、箱根八里、曼珠沙華、カラタチの花、浜辺の歌
参考;11月28日(日);瀬戸第10回第九
音楽活動10年が過ぎ合唱では瀬戸市民合唱団以外の団体も振り始めた
1994 主な練習曲:三木稔「浄土」
6月12日第33回愛知県合唱祭;「浄土」1、2、3
9月1日 第10回瀬戸合唱フェスティバル;「浄土」Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ
11月3日瀬戸市文化の祭典 ;指揮林秀幸、組曲「蔵王」
この年から山田先生はコールキルシェならびにニュータウン女声も振り始めた。
1995
特筆する出来事;
7月3日(日)創立10周年記念演奏会 瀬戸市文化センター文化ホール
参照(10周年記念演奏会) ピアノ;倉知小百合
うち2014年2月時点の現団員で歌った人;当時団長小熊辰雄
ソプラノ;市野芙佐子、伊藤 節子、井上 鎮代、千葉はつ子、丹羽由美子、水谷 久江、山田 淑子
ア ル ト;岡田 恵子、梶田多起子、加藤 弘子、加藤 葉子、佐藤 和子、鈴木 宣子、田坂千鶴子
テノール;井上 喜弘、田坂 雄一
ベ ー ス;小熊 辰雄、河村 右文
主な練習曲:「浄土」「蔵王」「川よとわに美しく」他
6月11日第34回愛知県合唱祭;「川よとわに美しく」より
9月10日第11回瀬戸合唱フェスティバル;指揮、林秀幸、「海の詩」海はなかった。「水のいのち」海よ
9月21日瀬戸市文化の祭典 ;「川よとわに美しく」より
1996 主な練習曲:三枝成彰「川よとわに美しく」アルカデルトのアベマリア、黒人霊歌(Swing Low・・)
6月9日第35回愛知県合唱祭、アルカデルトのアベマリア、黒人霊歌(Swing Low・・)
9月18日第12回瀬戸合唱フェスティバル;川よとわに美しくⅠ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ
11月3日瀬戸市文化の祭典;指揮;松谷好布、アヴェマリア、揺れよ幌馬車、希望のささやき、
指揮;国松富美子、菩提樹、埴生の宿
4団体合同してのシューベルト200合唱団の活動開始、オーケストラも振り始めた
1997 特筆する出来事;
11月22日第1回シューベルトミサ連続演奏会、1番、3番、西春勤労会館
ソリスト、S長屋 恵、MS千田恭子、T井原義則、神田豊壽、B松井俊彦
オーケストラ;ヌーベルバッハアンサンブル
主な練習曲:シューベルト、ミサ1、3
6月15日第36回愛知県合唱祭、Stabat Mater in G、シューベルトミサ in ESよりSanctus(3団体合同)
9月28日第13回瀬戸合唱フェスティバル;シューベルトミサinFより、クレド、サンクトゥス
11月2日瀬戸市文化の祭典;シューベルトミサinF、グローリア、クレド(春日井共同出演)
9月13日14日創作オペラ民吉初演、小熊団長がキャスト、合唱田坂夫妻を含む19名参加
参考;4月27日(日);瀬戸第11回第九
1998 特筆ステージ:
4月16日第2回シューベルトミサ連続演奏会、2番、4番、春日井市民会館
ソリスト、S長屋 恵、MS千田恭子、T井原義則、B友森美文
オーケストラ;ヌーベルバッハアンサンブル
10月31日第3回シューベルトミサ連続演奏会、5番、瀬戸市文化センター、シューベルトミサ5
ソリスト、S長屋 恵、MS千田恭子、T井原義則、B林 剛一
オーケストラ;ヌーベルバッハアンサンブル
主な練習曲;シューベルトミサ2、4、シューベルトミサ5
6月7日第37回愛知県合唱祭;(4団体合同) シューベルトミサinAs、サルベレジーナ
9月6日第14回瀬戸合唱フェスティバル;シューベルトミサinF、
瀬戸市文化の祭典;不参加
参考;11月29日(日);瀬戸第九創立15周年記念第九
1999 特筆ステージ
4月25日第4回シューベルトミサ連続演奏、愛知県芸術劇場コンサートホール、シューベルトミサ6
ソリスト、S長屋 恵、MS千田恭子、T井原義則、神田豊壽、B林 剛一
オーケストラ;ヌーベルバッハアンサンブル
主な練習曲:シューベルトミサ6、湯山昭「コタンの歌」
原山台団地クリスマス会
;「コタンの歌」全曲
6月13日第38回愛知県合唱、15年連続出場表彰、コタンの歌1,2
9月15日第15回瀬戸合唱フェスティバル; コタンの歌1,2,3,4,5
瀬戸市文化の祭典;不参加
2000 特筆ステージ:ベートーヴェン交響曲連続演奏会 第九 初夏の第九
参照(初夏の第九)
ソリスト、S橘 由理、A片桐仁美、T山田正丈、Bトゥルクミリエンコ
オーケストラ;シンフニッシェ・アカデミー・トーキョー
主な練習曲:J・デプレ、ビクトリア アヴェマリア、モーツアルトのミサinB
6月11日第39回愛知県合唱祭;J・デプレ アヴェマリア
9月17日第16回瀬戸合唱フェスティバル;指揮;神谷伸行、J・デプレ、ビクトリア アヴェマリア
瀬戸市文化の祭典;不参加
2001 特筆ステージ;
8月6日出発で当時は田坂が団長のシューベルト200合唱団の主力として瀬戸市民合唱団より(田坂夫妻含む)23名が参加
ウクライナ、リヴィウ・ベートーヴェンフェスティバルベートーベン 第九交響曲に出演。
ウクライナ、リヴィウのマリアマドレーナ教会にても、シューベルトミサinAsや
林光編曲日本の歌、箱根八里、叱られて、浜辺の歌などを演奏。
(ウクライナ海外演奏) オルガン 近藤茂之
ソリスト、S小林史子、MS片桐仁美、T井原義則、B末吉利行
主な練習曲:モーツアルト
ミサinB、林光編曲 日本叙情歌集より
5月27日瀬戸市文化の祭典、モーツアルトのミサ変ロ長調より「キリエ、グローリア、クレド」
6月6日第40回愛知県合唱祭、モーツアルトのミサ変ロ長調より「キリエ」、「グローリア」
10月1日(水)ビザンチン皇室事前舞踏晩餐会に山田先生以下シューベルト200合唱団(田坂夫妻含む)有志参加
10月14日第17回瀬戸合唱フェスティバル;指揮;高山嬉加、エーデルワイス・小さな水の精・人声のためのソナチネ
参考;12月16日(日);瀬戸第13回第九
2002 主な練習曲:間宮芳生
合唱のためのコンポジション、モーツアルト ミサinB(KV275)
20周年記念演奏会に向けて日本の組曲より5曲、アヴェマリア集
第41回愛知県合唱祭、海の詩より「海はなかった」、「蔵王より早春」
9月1日第18回瀬戸合唱フェスティバル;指揮;高山嬉加、旅より「旅立ち」、「なぎさ歩めば」水の命より「海よ」
瀬戸市文化の祭典;海の詩より「海はなかった」蔵王より「苔の花」、「早春」
2003 特筆ステージ:
3月16日:20周年記念演奏会、瀬戸市文化センター文化ホール。
アヴェマリア集、モーツアルト ミサinB(KV275)、間宮芳生 合唱のためのコンポジション、
20年を振り返って 日本の組曲より5曲。
ソリスト、S高山嬉加、A坂下綾子、T笠木厚憲、B能勢健司 ピアノ;倉知小百合
うち2014年2月時点の現団員で歌った人;当時団長田坂雄一
ソプラノ;市野芙佐子、伊藤 節子、井上 鎮代、佐藤 和子、千葉はつ子、丹羽由美子、水谷 久江
ア ル ト;岡田 恵子、梶田多起子、加藤 弘子、加藤 葉子、鈴木 宣子、千石 智子、田坂千鶴子
テノール;井上 喜弘、田坂 雄一
ベ ー ス;小熊 辰雄、河村 右文、丹羽 勝久
海外演奏;8月1日出発のシューベルト200合唱団に瀬戸市民合唱団より田坂夫妻含む14名が参加。
プファルツグランヴァイラーやデュルクハイム、バーデンバーデンで演奏。
ソリスト、S小林史子、MS片桐仁美、A相可佐代子、T井原義則、神田豊壽、Br田辺とおる
主な練習曲:20周年記念演奏会に向けての曲目
1月5日(日)ニューイヤーコンサートin NAGAKUTEに田坂夫妻含む有志参加
9月7日第19回瀬戸合唱フェスティバル;心の四季より、風が、みずすまし
6月14日第42回愛知県合唱祭;戴冠ミサよりグローリア
6月1日 瀬戸市文化の祭典;戴冠ミサよりグローリア、浜辺の歌(日本語、ドイツ語歌詞)
11月5日第27回育樹祭に団参加
上記に先立って1月5日にはシューベルト200合唱団主催公演ニューイヤーコンサート インNagakuteを公演。
詳細はニューイヤーガラコンサートここ。
ソリスト・小林史子・味岡真紀子・谷田育代・大野由美子・児玉ひろみ、
井原義則・神田豊壽・小山陽次郎・岡本茂朗・奥村成次・小野隆司
オーケストラ;シンフニッシェ・アカデミー・トーキョー
音楽活動20年の節目
(合唱指導以外の活動は見えませんがいろいろ手を広げているように感じました)
2004 主な練習曲、ブルックナー ミサ曲1番、万博準備 武満徹編曲日本古謡:
4月11日(日);瀬戸20周年記念第九;指揮者山田信芳
6月6日第43回愛知県合唱祭;さくらさくら
7月4日瀬戸市文化の祭典;戴冠ミサよりグローリア、サンクトゥス
9月19日第20回瀬戸合唱フェスティバル;心の四季より、風が、みずすまし、流れ、山が
12月24日(火)山田先生指導のシューベルト200合唱団有志が参加、三鷹でバッハとモーツアルトのクリスマス演奏会に出演。
瀬戸からは高山先生以下田坂夫妻を含め4名参加。
2005 主な練習曲、ブルックナー ミサ曲1番 ミサ曲2番
この年1月の練習初めからピアニスト近藤麻由が本格的に参加
1月8日ブルックナーチクルス1番、長久手森のホールにて
ソリスト、S森 美佳、A高橋華子、T小山陽二郎、Bユリー・クルグロフ
オーケストラ;日独楽友協会シンフォニッシェアカデミー
3月20日(日)大下久美子企画の長久手オペラ「魔弾の射手」に有志参加
ソリストたち、竹田昌弘、林剛一、田辺菜美子、小野隆司、伴真由子、飯田牧子、松下伸也、山田晃
ピアノ:山本敦子
4月4日万博シューベルト200EXPOホール演奏会。三善晃編曲:赤とんぼ、この道、
日本抒情歌集より赤とんぼ・この道・待ちぼうけ
万博会場演奏会全体合同
源田俊一郎編曲 ふるさとの四季
4月10日万博会場にてシューベルト200合唱団ブルックナーミサ曲1番
5月29日モーツアルト 戴冠ミサ 瀬戸蔵ホール完成記念演奏会 ピアノ;倉知小百合
7月10日第21回瀬戸合唱フェスティバル;赤とんぼ、この道、待ちぼうけ
6月12日第44回愛知県合唱祭;赤とんぼ、この道
9月3日4日万博会場にて「オペラ民吉」に有志参加
瀬戸市文化の祭典;赤とんぼ、この道、待ちぼうけ
12月16日(金)クリスマスロマンチックコンサート、名古屋市文化振興事業団主催、
シューベルト200合唱団のメンバーとして田坂夫妻も参加
ソリストたち、飯島有希子、岡本茂朗、水野隆司、加藤利幸、近藤にれ、櫻井裕子、吉田直子、本田美香、
松井茜、松下伸也、盛かおる、安田健、山田正丈、山中敦子、やまもとかよ、山本佳代、吉野内利恵
オーケストラ;名古屋二期会管弦楽団
NPO法人NCO(名古屋尾張地域市民オペラ振興会)を立ち上げ
(シューベルト200合唱団は発展的に解消しました)
2006 予定していた特筆ステージ、ブルックナー ミサ曲2番 ブルックナーミサ曲演奏会、山田先生交通事故のため
4月23日芸文コンサートホールでのコンサートを中止。
この年から梅澤先生のヴォイトレ開始。
主な練習曲 新実徳英 花に寄せて
この年シューベルト200合唱団を母体としてNCO(名古屋尾張地域市民オペラ振興会)を立ち上げ
2006年7月28日に登記完了し、NPO法人としての活動を始めた。登記書類は山田先生のアイデアを下に田坂が作成。
(なお、NPO法人としての活動は2012年で終了し、以後は一般団体として活動。)
11月17日18日19日にNPO法人NCO第1回公演として名古屋市芸術祭
公演オペラ「ナクソス島のアリアドネ」を公演。
合唱はなかったが、田坂が制作として参画、公演結果の報告は下記参照。
http://www.tanabe.de/t/2006_1117_ariadne.htm
アリアドネのキャストはここ(アリアドネキャスト)。
9月3日第22回瀬戸合唱フェスティバル;「花に寄せて」よりⅠ,Ⅱ,Ⅳ,Ⅶ
第45回愛知県合唱祭;メンバー数減少による財政難から合唱連盟脱退
6月25日瀬戸市文化の祭典;「花に寄せて」よりⅠ,Ⅱ,Ⅳ,Ⅶ(の4曲)
2007 特筆ステージ4月22日延期していたブルックナー ミサ曲2番演奏会、愛知県芸術劇場コンサートホール
オーケストラ;日独楽友協会シンフォニッシェアカデミー
9月 第23回瀬戸合唱フェスティバル;大中恩作曲「島よ」抜粋
6月22日瀬戸市文化の祭典;大中恩作曲「島よ」抜粋
9月21日から26日の日程で第2回日本キルギス芸術文化祭のビューティーコーラス42名中
山田先生、近藤麻由(ピアニスト)以下シューベルト200合唱団として22名、
うち瀬戸市民合唱団から田坂夫妻含む11名が参加
(キルギス海外演奏)
2008 主な練習曲ブルックナー (ミサ曲3番)
9月21日第24回瀬戸合唱フェスティバル;指揮;麓洋介:新美徳英、幼年連祷よりⅠ花、Ⅱ不眠、Ⅲ憧れ
瀬戸市文化の祭典;「幼年連祷」よりⅠ花、Ⅱ不眠、Ⅲ憧れ
特筆ステージ
1月6日NCOニューイヤーガラコンサート(北名古屋)を開催。
ソリストたち、S千田恭子、小坂井貴子、やまもとかよ、山本 綾、松波千津子、T加藤利幸、笛田博昭、B澤脇達晴
オーケストラ;サンクスオーケストラ
3月21日、22日の「パリアッチ(道化師)」「カバレリアルスチカーナ」公演の内容は
(NCO第2回公演)ここ。
ソリストたち、「パリアッチ(道化師)」(金) (土)ダブルキャスト
カニオ 笛田博昭、 加藤利幸
ネッダ 百々あずさ 松波千津子
トニオ イビケエフバキトベック 同左
ペッペ 永井秀司 中井亮一
シルビオ 岡本茂朗 笹原 一
「カバレリアルスチカーナ」
トゥリッドウ 加藤利幸 笛田博昭
サントウッツア やまもとかよ 千田恭子
ルチア 小坂井貴子 同左
アルフィオ 安田 健 同左
ローラ 山本 綾 同左
オーケストラ;NCOオーケストラ
2009 主な練習曲ブルックナー
ミサ曲3番 ブルックナーミサ曲演奏会練習
第25回瀬戸合唱フェスティバル;浜辺の歌、曼珠沙華、箱根八里
6月14日瀬戸市文化の祭典;叱られて、浜辺の歌、上を向いて歩こう、さとうきび畑
特筆ステージ
3月22日にしらかわホールにてモーツアルト魔笛をステージ形式で上演。
指揮は山田先生、合唱団は参加していない。
オーケストラ;合奏団レストロ・アルモニコ
12月19日(土)、20日(日)
名古屋市芸術創造センターにてNCOオペラ、モーツアルト「魔笛」を本格オペラとして上演。
キャスト、ザラストロ;伊藤貴之、タミーノ;中井亮一、弁者;塚本伸彦、
夜の女王;松波千津子、パミーナ;西畑佳澄、
侍女1;;増田美帆、侍女2;やまもとかよ、侍女3;近藤にれ、
童子1;山田統子、童子2;加藤史、童子3;梅澤市樹、
パパゲーナ;児玉弘美、パパゲーノ;能勢健司、モノスタトス;永井秀司、
武士1&僧侶;宮崎智永、武士2&僧侶;塚本伸彦、
オーケストラ;合奏団レストロ・アルモニコ、合唱に田坂夫妻参加
2010 主な練習曲、ブルックナー
ミサ曲3番 ブルックナーミサ曲演奏会練習
2月7日に瀬戸市市制80周年記念ガラコンサート(瀬戸市文化センター)を山田先生のご意見により提案し認可され公演。
オペラや合唱のエッセンスを聴いていただけた。
ピアノコンチェルト;近藤麻由
ソリスト、やまもとかよ、近藤にれ、中井亮一、伊藤貴之
オーケストラ;80周年記念オーケストラ、合唱;NCO合唱団(田坂夫妻含む)
6月 瀬戸市文化の祭典;アルカデルト「アヴェマリア」、苔の花、秋の女よ、風が
9月5日第26回瀬戸合唱フェスティバル;苔の花、秋の女よ、風が
2011
特筆ステージ2月13日(日)にブルックナー ミサ曲3番 NCO演奏会
ブルックナーのミサ曲3番他を「NCOが送るソロと合唱とオーケストラ」として愛知県芸術劇場コンサートホールにて演奏。
ソリスト、児玉弘美、近藤にれ、中井亮一、伊藤貴之
オーケストラ;合奏団レストロ・アルモニコ、合唱;NCO合唱団(田坂夫妻含む)
6月 瀬戸市文化の祭典;心の四季よりⅠ風が、Ⅱ水澄まし、Ⅲ.流れ
9月4日第27回瀬戸合唱フェスティバル;心の四季より Ⅰ風が、Ⅱ水澄まし、Ⅲ.流れ
3月25日(金)より4月5日(火)山田先生、近藤麻由以下NCO合唱団合わせて20名(うち瀬戸市民合唱団からは田坂夫妻他1名)
でベルリンでの日独150周年記念第九を歌う会に参加。
3月28日にはルター教会にて震災支援募金のための日本歌曲の夕べを山田先生指揮、近藤麻由のピアノで演奏。
山田先生のソロ演奏の後のふるさとの四季の合唱では、日本から用意したハッピを途中で着て歌い、好評。
演奏後お土産として配って喜んでいただいた。
4月3日(日)にはベルリンフィルホールにて現地アマチュアオケ、合唱団有志と日独合同で第九を歌った。
2012
特筆ステージ
2月4日(土)NCOガラコンサート(名古屋市熱田文化小劇場)
ソリスト、やまもとかよ、児玉弘美、中井亮一、伊藤貴之、能勢健司
オーケストラ;NCOオーケストラ、合唱;NCO合唱団(田坂夫妻含む)
6月 瀬戸市文化の祭典;指揮梅澤;童謡唱歌四季のメドレー、夏バージョン、心の四季より「真昼の星」
第28回瀬戸合唱フェスティバル; モツレク(NCOとして55名で参加)
6月16日(土)麗水(ヨス)国際博覧会に合わせた韓・日芸術文化祭にグローバル合唱団の一員として
山田先生、ピアノ;吉井茜、以下合わせて田坂夫妻含む6名で参加。
麗水(ヨス)市市民会館にて「ふるさとの四季」を予定したが「占領時代の日本軍の強制的な日本語使用の強要、
日本の歌の強要などから、ふるさとの四季のような日本の歌は、全てNGと言うことで別の歌になった。
(ヨス万博海外演奏)を参照。
2013
特筆ステージ、
1月13日(日)NPO法人を解散した第1回NCO公演「モーツアルトを訪ねて」
モツレク演奏(愛知県芸術劇場コンサートホールにて)
ソリスト、百々あずさ、近藤にれ、中井亮一、伊藤貴之
オーケストラ;NCOオーケストラ 合唱NCO合唱団(田坂夫妻含む)
主な練習曲、「花は咲く」フォーレレクイエム、ブラームス「運命のうた」、高田三郎「水のいのち」などを
創立30周年記念演奏会準備として練習。
瀬戸市文化の祭典;「花は咲く」、「水のいのち」から1雨、2水たまり、3川
第29回瀬戸合唱フェスティバル;「水のいのち」から 2水たまり、4海、5海よ
8月24日から8月31日の日程でウィーンにて山田先生、近藤麻由以下田坂夫妻含む6名が参加し、
8月27日にはベートーベンの荘厳ミサをかのウィーン楽友協会ホール黄金の間(ムジークフェライン)で演奏。
山田先生は合唱指導と合唱の演奏に参加。
12月28日(土)午後本番で、山田先生の最後の公演となった、第2回NCO公演
ホールオペラ「フィデリオ」公演、名古屋芸術創造センターホール。
指 揮:山田信芳 演出:池山奈都子 コレペテトゥーア:近藤麻由
管弦楽:フィルハーモニカ・ウィーン・名古屋
ソリストたち、ドン・フェルナンド 能勢健司 ドン・ピッツアロ 中原憲
フロレスタン 水野秀樹 レオノーレ(フィデリオ) 百々あずさ
ロッコ 堀内紀長 マルツェリーネ 児玉弘美
ヤキーノ 大久保亮 レオノーレアンダースタディ 原田幸子
囚人1 堀内大輝 囚人2 沼波俊太郎
合唱:NCO合唱団 他(瀬戸市民合唱団からは田坂夫妻含む6名が参加)
2014 創立30周年記念演奏会計画 瀬戸蔵にて計画中に山田先生2月14日に急逝のため30周年演奏会そのものを中止
6月22日瀬戸市文化の祭典;ブラームス「運命のうた」を追悼演奏
指揮:能勢健司
2015 3月15日(土)にしらかわホールにて一周忌追悼演奏会「運命のうた」「モツレク」予定、
指揮:山口浩史 オーケストラ:NCOオーケストラ
ソリスト:児玉弘美、近藤にれ、中井亮一、伊藤貴之
合唱NCO合唱団
<問い合わせ先>
mail-to (tasaka-u1@na.commufa.jp) お手数ですがカッコ内をコピーして送信ください。
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